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【無料公開 スタッフ日記】ぐっちゃん 〜by中澤寛規

UPDATE2016.12.19

2016年12月19日。今日僕は38回目の誕生日を迎えた。

そして本当ならば今夜、才能溢れるミュージシャンであり親友でもある男と一緒にステージで音楽を鳴らしているはずだった。だが、そんな誕生日の予定は突如キャンセルされてしまった。
 
2016年12月8日、橋口靖正くんが急逝した。
「ぐっちゃん」。僕を含めGOINGのメンバーは彼をそう呼んでいた。
 
12月8日、実はぐっちゃんと会う予定があった。
その日僕は下北沢でナカザタロウのライブだった。野暮用があってリハーサル時に顔を出してくれると言っていたのだが、結局ぐっちゃんは来なかった。
まぁ急ぎの用でも無いし、クリスマス配信予定の新曲制作に忙しいのも知っていたので別段気にしていなかった。
どうせまた近々会えるし、と思ってこちらから特別連絡もしなかった。
 
 
ぐっちゃんの訃報を受けたのはその翌朝だった。
 
 
ぐっちゃんに初めて会ったのは2010年8月。
元GOINGメンバーの河野丈洋がお呼ばれした寺岡呼人さん主催の引き語りイベントだった。
この日はチャゲ&飛鳥の曲を互いにカバーするという内容で、何故か僕はそこに1曲だけ「チャゲ役」として飛び入り参加することになっていた(ちなみに曲は「SAY YES」) 。もちろんコスプレもバッチリ仕上げて臨んだ。
その日、呼人さんの隣でピアノを弾き、曲によってベースに持ち替えたりコーラスまでバッチリこなす、やたら器用なサポートメンバーが僕の目を引いた。その男が橋口靖正、ぐっちゃんだった。
 
のちにこの時の思い出話をしたことがあった。ぐっちゃん云く「なんかGOINGの人が全力でモノマネしに来てるけど初対面の自分がどこまでイジっていいのか分からなかった」そうだ(笑)。もっともだ。
僕は僕で、曲に応じて様々な楽器を弾きこなすマルチプレーヤーの印象が強かった。
ただ、この日ぐっちゃんと会話をした記憶はほとんどなく、なんなら彼のデフォルトであるあのいぶかしげな表情に「なんか話し掛けづらいなー」と思ってたくらいだ。
 
まさかそんな男と数年後、一緒にガッツリ音楽を作ったり、男二人で映画観にいっちゃう仲になろうとは思ってもみなかった。
 
それから数年経った2014年の夏、共通の知り合いを通じてぐっちゃんがGOING UNDER GROUNDのサポートキーボードを務めてくれることになった。
ぐっちゃんと初めて一緒に音を鳴らしたライブ会場は渋谷PLEASURE PLEASURE。
月替わりでテーマを設け「SONG CRUISING」と題したワンマンライブだった。タイトルの「CRUISING」という言葉に掛け、僕は海賊を意識した衣装でこのシリーズに臨んでいた。
つまり、ぐっちゃんと初めて会ったときが「チャゲ」、初めて一緒に立ったステージが「海賊」だったってわけだ。しかしその後続く我々の付き合いから振り返ってみれば、何とも「らしい」出会い方だったのかもしれない。
 
その日のライブで僕を含めメンバー全員驚いたことがあった。それまでも何人かのキーボーディストにサポートしてもらってきたが、ことライブではそれなりの曲数を覚えてもらうため、皆一様に楽譜を手元に置いていたし、僕らもそれは当然の所作だと思っていた。
 
しかし、ぐっちゃんはGOINGのステージに譜面を置かなかった。
理由を尋ねると「譜面使ってるロックバンドのライブ見ると俺自身冷めちゃうんすよ。だからっす。」
音楽に対して常に男前だった。まさにロックなこの姿勢に僕らは一気にぐっちゃんに惹き込まれた。
 
前ドラマーが脱退した後釜に、トミさんこと富田政彦を推薦してくれたのもぐっちゃんだった。
「せっかくなら今までと真逆なスタイルのドラマーとやった方がバンドが変化するきっかけになると思って。」
3人になっても続けていくことを選んだバンドを、その生粋のプロデュース気質で後押ししてくれた。
 
ぐっちゃん自身の作品に触れたのはGOINGのサポートに入ってもらってからだ。
聴かせてもらった楽曲はどれも完成度が高いだけじゃなく、キャッチーで、キラキラしているし、なにより歌声がパワフルかつ魅力的で、ひとつの楽曲の中に耳を離させないマジックがたくさん散りばめられていた。
一気に橋口靖正というアーティストのファンになった。
 
ただ、この時期ぐっちゃんは表立ったソロ活動をほとんどしていなかった。
ぐっちゃんの楽曲を偉く気に入った僕や素生は「CD-Rでもなんでもいいから絶対音源化した方がイイよ! 」と勝手にまくし立てた。こんなに素晴らしい作品が世の中に発信されないのは勿体なさ過ぎると思ったからだ。
せっかくツアーで全国一緒に回ってるんだし、とGOINGのライブ会場でぐっちゃんは手焼きのCD-Rを販売することにした。
 
なんならライブもどんどんやった方がイイ!と、下北沢でナカザタロウと橋口靖正ツーマンライブを企画した。
その夏にはナカザ、タロウ、ぐっちゃんの3人で軽ワゴンに乗り込み、仙台へ行きライブをやった。
このときのライブはもちろんだが、それ以外の時間(移動の車中、本番前に行ったブックオフ、泊まったカプセルホテルetc…)も本当に楽しすぎて「また来年の夏もこの3人で地方ライブに行こう!」と息巻いていた。
 
多くの時間を共に過ごすうち、僕とぐっちゃんはあっという間に「友達」になっていた。
スタジオでもライブでも、会えば喋りっぱなしだし、ツアー移動中の車内ではトミさんに「あんたら、よくそれだけ喋ることあるな。」と呆れられたくらい。
 
リハスタの帰りにはどちらから誘うでもなく、よく二人で飲みに行った。
平日の昼間に男二人歌舞伎町で待ち合わせてスターウォーズ エピソード7を観に行った。
後日、シンゴジラも同じように待ち合わせてで観に行った。
男二人で映画観に行ったのなんて、おそらく小学生のとき以来だ。
まったくサッカー知識のないぐっちゃんを浦和レッズの試合にも連れて行った(計2回)。
 
去年の僕の誕生日を一番最初に祝ってくれたのもぐっちゃんだ。
ちょうど去年の12月18日が京都sole cafeでナカザタロウとぐっちゃんのツーマンライブ、翌19日は大阪でGOINGのワンマンライブだった。京都でのライブを終え、そのまま僕とぐっちゃんは電車で大阪へ移動し、ホテルの最寄駅に着いた時だった。ちょうど時計が0時を回り日付けが19日に変わった。
待っていたかのように、ぐっちゃんはニヤリとしながら 「中澤さん、祝わせてくださいよ〜。」と、2人で閉店間際の居酒屋に飛び込んだ。
あれからもう1年経ったとは。
 
 
一方的にだけど、ぐっちゃんとはちょいちょい「似てるな」と思える瞬間があった。
 
ビートルズは365日聞けるくらい好きだけど、ビーチボーイズはあんまり詳しくない、とか。
友達のライブ見に行っても楽屋挨拶行くのが億劫だからすぐ帰っちゃう、とか。
手数の多いギターソロは嫌い、とか。
面倒くさい場面に対峙するとちょっとだけ顔に出ちゃう、とか。
 
色々あるが、僕が一番ぐっちゃんと響きあえたのは彼の持つ絶大なユーモアの部分だった。
そのユーモアに共感したり、驚いたり、励まされたり、勇気をもらったり。
 
ぐっちゃんという男は自分自身を肯定させてくれる存在だった。
 
もっと振り切っていい。もっとはしゃいでいい。もっとフザけたっていい。
他人と同じことなんてクソ食らえ。
それが誰かを楽しませることに繋がっていくんだから。
 
ぐっちゃんと一緒に居るといつだってそんな気持ちになれた。
 
実際ぐっちゃんは早い段階からナカザタロウの活動を評価してくれたし、いちミュージシャンとしても、楽曲の中で遊ぶセンスなんかはものすごく影響を受けた。
GOINGにとってもバンドの状況が苦しい時、彼のユーモアが強力なカンフル剤になったのは間違いない。
 
そしてぐっちゃんは今年ついに1stソロアルバムを完成させた。
内容については言うまでもないが、あのとき「音源を世に出すべきだ!」と鼻息荒くまくし立てた当人としては待ちに待った作品だった。友達の作品をいちファンとして純粋に聴ける感覚も初めてに近かった。
 
そして9月。
アルバムリリース後初のバンドセットでのワンマンライブに、ぐっちゃんはギタリストとして僕を誘ってくれた。
彼の楽曲をバンドメンバーとして鳴らせることが純粋に嬉しかったし、りっちゃん、マエくん、タロウさん、というラインナップなら絶対に楽しい以外ない。
実際スタジオリハーサルの段階から笑いが絶えなかったし、本番当日の楽屋も主役のぐっちゃんに「ホントうるせーっす。」と言わせるくらい賑やかだった。
もちろん本番もそれを集約して上回るくらいエネルギーに満ち溢れたライブだった。
 
「いろいろ大変だったけど、終わったら終わったで、なんかまだ全然やり足りないね!」ライブ終了直後、マエくんが言った。
 「早いとこスケジュール決めて、また絶対このメンバーでライブやろう!」皆で約束を交わした。
 
 
その月から始まったGOINGのツアー中にぐっちゃんが聞いてきた。
「中澤さん、12月19日って空いてます?」
 
「空いてるもなにもオレの誕生日だわ!」と返すと、
 
「あ、そっかー!去年大阪で祝ったわ(笑)。実は19日に下北沢でワンマンやろうと思ってるんすけど、今年も全力で祝うんで中澤さんギター弾いてもらえないすか?」
「強引に自らハッピーバースデー歌うから平気だよ!」と二つ返事でオーケーした。
この日はマエくんとタロウさんが都合つかず、ドラムにりっちゃん、ベースは鶴の神田くんとの4人編成でやるということだが問題ない。むしろ再びぐっちゃんの曲をバンドで鳴らせるのが楽しみでしょうがなかった。
 
その後もツアー中やリハ帰りの居酒屋なんかで、19日のライブどんなことやろうかとか、クリスマスに配信する新曲の仕上がり具合とか、来年こそナカザタロウと軽ワゴンの旅やらなきゃとか、地元の宮崎にGOINGでライブしに行きましょうよとか、ローグワンいつ観に行きます?とか、未発表の曲でナカザタロウに提供したい曲があるんすよねーとか、中澤さんがぜってー好きなバンド見つけましたよとか、行きつけの飲み屋にナカザグラス置かせてもらってるんすよーとか、色んなことを喋った。
 
 
12月4日、幕張メッセのイベントにGOING UNDER GROUNDで出演したライブが図らずもぐっちゃんとの最後の演奏になってしまった。
その帰りの車で「こんどナカザタロウのリハの時ちょっと顔出しますね」と口約束して別れたんだ。
 
 
次に再会した時、ぐっちゃんは棺で眠ってた。
 
棺にはなんとアメリカンポリスの衣装が掛けられていた。なんの冗談かと思った。
その衣装は去年僕がぐっちゃんに託したものだったからだ。
あるライブで僕がハロウィンの衣装として着ていたのを見て、ぐっちゃんが「オレもこんどライブで使いたいんで借りていいっすか」というので託したのだが、その後も自分のワンマンで着たりサポート仕事の現場でも着てたり相当な頻度で使っていたので「もう、ぐっちゃんにあげるよ」と譲ったのだった。
 
聞けばご両親が「靖正のお気に入り衣装みたいだったから」と思って棺に掛けてあげたそうだ。
まぁ間違ってはいないか、ぐっちゃん。アリかナシなら「アリ」だよね。
 
 
 
別れの日からあっという間に日が経って、もう12月19日。
 
ぐっちゃんがいなくなった日常はやっぱり想像以上につまらないし、当然まだまだ哀しい。
ぐっちゃん自身もやり残したことだらけだってことは皆が知ってる。
ぐっちゃんが友達の哀しい顔を見たくないのも知ってる。
だから僕はぐっちゃんと響きあえたユーモアを大切に、歯をくいしばりながらなるべく楽しく生きる。
 
ぐっちゃんと一緒に演奏するはずだった21日のGOINGのライブは4人だけでステージに立つ。
この日のステージが少しでもこの先に繋がるものになるよう、僕自身も新たな試みを始めている。ぐっちゃんは少し意外に思うかもしれないけど。
 
そして誇りある橋口バンドのギタリストとしても、他のメンバーや仲間と共に橋口靖正の音楽をビシバシ伝えまくっていくからそのあたりは安心してほしい。
 
 
しかし今年は随分おだやかな誕生日になってしまったな。
 
 
ぐっちゃん、正直まだまだ遊び足りないよ。
いつでも化けて出てくれて構わないんだぜ。
 
                                    
 
2016年12月19日 中澤寛規